photographer says

ママに会いたい

 清水寺近くの馬町で同棲してたんでこの道はよく歩きました。四条から五条まで小奇麗で温泉街のようにのんびりした雰囲気。ライトゲンシロップという麻薬入りの咳止めを売ってた薬局、会津小鉄会事務所、六波羅蜜時、おやじという名の一坪の焼きそば屋、建仁寺、知り合いの女が住む銭湯大黒湯の横を通り、〆は屋台のうどん屋弁慶。真夜中の散歩をよく楽しんだものです。かつての場所を訪ねかつての人々が思い浮かぶのは皆さんも同じでしょう。この宮川通りでの写真を撮った後、大和大路を歩きながらある二人の人を思っておりました。
 20年程前木屋町にジェストというディスコがありまして、ディスコなのにクラブナイトという今のクラブのはしりみたいな日がありましてパブリックエナミーばかり廻してました。小さいかわいらしい舞妓はんがお客連れでよく来てまして、その娘の置屋に遊びに行ったことがあります。部屋にはターンテーブル2台と日本初の横フェーダーミキサー、ベスタ小僧が座机に置かれており、「こんなん持ち込んでもええんかい!?」と少し驚いたのを憶えています。この写真と同じような着物姿とヘアースタイルで、座ってブラコンを繋げていく姿こそシュールと言わずなんといおう。現在彼女は芸鼓とR&Bシンガーでご活躍とのこと。一度見に行きたいと思ってます。
 もう一人、そのジェストのオーガナイザー、通称ママ。ゲイなのにハウスよりラップ。大助・花子の大助似。(親戚です。)敦賀原発で借金を返し京都に舞戻り多数のイベントを企画するもバブルの煽りでジェスト閉店。ママはオリンピック景気の長野で鉄筋工になったのでした。その後千葉でその仕事を続けていたようですが、つい先日脳梗塞で亡くなったとの知らせを人伝いに耳にしました。享年60。ママあの頃40やったんや。そっち行ったらまたわしのDJで踊ってちょうだいよ、ママ!

ジュンク西村

追伸:イタリアのミラノにあるカフェバーbentobarにて個展開催中です。9月7日まで。

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