photographer says

IWAKUNI

ベストヒットUSA以外、なんせ情報が取れないものですから高校生の頃は最新の洋楽を米軍放送でチェックしていました。周波数1575、FENのROLAND BYNUMとかDON TRACY。久保田ヒロコという日本人アナウンサーに弟子にして下さいみたいな手紙を送った記憶もあります。県内にその放送局のある海兵隊岩国基地がありまして、それはそれは多感な田舎の高校生にとってはえらく刺激的な存在でした。時代はヒップホップのはしり、“我々にとって基地とは?”なんてイデオロギーなんか関係なし!沖縄問題関係なし!卒業後、当時唯一のアフロアメリカンバーで初めてDJキャリアをスタートさせたのでした。ママ、兵隊のDJ、わし、そしてホステスのSHERRYとCANDY。二人には随分世話になり、毎晩のように彼女らのどっちかに泊まる生活。二人共創価学会だったものですから昼になるとかなり個性的なお姉さんらが集まり、寝ぼけなまこに聞こえるお経の合唱。CHAKAとTINAの影響は大きかったみたいです。二人共底抜けに純粋で、今想えばアメリカ人と一緒になってアメリカで暮らしたかったんだと思います。また基地の街で働くお姉さん方は例外なく、日本の社会では生き辛かった方が多かったような気がします。背景的にも性格的にも。
そのバーは間もなく閉店となり、SHERRYは故郷の大阪生野区へ帰り、CANDYは残念ながら2年前風邪をこじらせ古い米軍ハウスで一人静かに亡くなりました。九州弁が抜けない彼女が福岡の土建業の娘と知ったのは後のことです。形見に彼女の愛聴した膨大な黒いカセットテープと昔の写真を頂きました。それはベトナム戦争も終結する頃のIWAKUNI、今渋谷あたりを歩いても皆が振返るであろうほどの迫力ある、美しい、アフロヘアの女性の色褪せたカラー写真でした。

ジュンク西村

*写真は岩国に配属され2週間のnew bee

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