photographer says

ちーやん

既視感、匂い、あるいは音楽なんかの音により過去の記憶が一瞬にして頭の中を駆けめぐることがあるかと思います。ありました、先日。ボタ山のモノトーンな色のない記憶。引き金は映画「フラガール」の炭鉱住宅、通称“炭住”の広がるシーン。すばらしいセット。あの通りですわ。拍手。
小学生時、母親が片手間に小銭稼ぎ程度の商売をしてました。死にかけた金魚の水槽に入れたら生き返ったというキャッチコピーで怪しい入浴剤、ポ●ラ化粧品であそこのおばさんは顔が真っ黒になったというフレーズでメ●ードの化粧品、そしてもう一つ、ダスキン。このダスキンはリース制で先端の黄色いモップを交換するようになってまして、「何かもらえるかもしれんよ」という母の言葉に夜な夜な手を引かれ、お得意の中心である炭住を、汚れ具合の御用聞きにアポなし訪問するのでした。お菓子なんかをもらい大満足の一方、「子供連れたほうが断られん」と母が漏らしたのも強く記憶に残ってます。今回の写真のおやじさんのところもよく行きました。ちーやんと皆から呼ばれ、マムシに咬まれても平気な男、しかしアリに咬まれると死にそうになる、という伝説は炭住の一画にあった散髪屋のおじさんから聞かされ、この人はどうやって暮らしているのだろう、変な人じゃのうと子供ながら思っていました。
あれから30年、帰省時、駆け回って遊んだ炭住跡地を“皆何処へ散っていったんかいな”なんて想いながら撮ってたら、ちーやんが当時のままの朽ちる寸前の家の前でタバコ吸いながら山を眺めてたんで、「おいさん(おじさん)、どねーかん(調子はどう)、元気かん?」「珍しいね(久しぶり)。あんたぁまだ札幌かん?」「うんにゃ、今名古屋」としばし談話。おじさんは熊本生まれでした。炭鉱でこちらに流れ炭鉱夫に。炭鉱の縮小と共に愛知は刈谷の自動車工場へ出稼ぎ。その働きぶりに山口に帰ってからも戻って欲しい連絡がよくあったことがおじさんのちょっとした誇りのようでした。炭鉱の仕事に比べたらなんちゅうこともないって。指の太さがそれを証明しています。
相変わらずやもめ暮らしのようですが、うなぎ釣ったり山芋掘ったり、暮らしはまんざら悪くなさそう。それに一人娘は宇部で美容師をし自立、かなり前に別れた奥さんは徒歩45秒のところにこれまた一人暮らしをしております。先程母親に確認したところ、離婚の原因は奥さんの男関係で、おやじさんはどうもまだ彼女が好きみたいとのことでした。

ジュンク西村

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