photographer says

new starts

 スーパーゼネコンの某所長より、今度熊野でトンネルを掘ることになったという連絡を受けた時、会社はトンネル商材の撤退を決定しており、オレも退職を決めていた。とはいえ随分と世話になった人であり、また退職の報告もしておかねばと数日後熊野に向かった。彼にとっては最後の現場になるであろうその計画地を二人で視察した。掘削方法の選択、資材置き場の確保、目前を走るJRへの懸念等々、50半ばを過ぎた所長は正に山に挑む意気込み。この地で5年間再び単身を続けることなんてどうってことはないぜ、とさえ感じられ、オレは会社をやめます、などとは言い出せなくて少し時間を置いて書状にて報告することにした。
 日帰りは可能であったが泊まることにした、というのは少し足を伸ばせばいつか行きたかった太地町があるからだ。今日はクジラづくしでいこう、と携帯で宿を取った...が、太地は失敗であった。太地駅は海から離れた幹線道路沿いにあり、頭の中でリアルに完成していた漁師の集う駅前食堂なんてものはなく、オレは電車に乗って隣町の那智勝浦に行くしかなかった。
 車中はクラブ活動を終えた男子学生に占拠されていた。どいつも疲れ切って熟睡している。オレもそうだったように、律儀に学校へ通うことに疑念を抱く余裕のないほど疲れている。当時登校拒否や中退したやつには、オレ達が感じなかったものを感じ、気づかなかったことに気づいていた者もいたのだろうと、自身がドロップアウトしつつある今ふと思ったりもする。
 勝浦には10分で到着し、一番汚い店構えの小料理屋に飛び込む。カウンターには大きな発泡スチロールがドンと置かれ、時期も終盤だという太田川を溯った素魚(シロウオ)が不規則に群れていた。クジラどころか刺身らしきものもなく、今夜はこれ一本で商売するらしい。この川の珍味とさんまの丸干は充分おいしかったのだが、会計を済ました財布は翌日のクジラ博物館見物を中止せざるを得えない程軽くなっていた。  また来るしかないな...太地に戻る電車を待ち、先の所長への退職報告は書状ではなく、もう一度足を運ぼうと考え直していた。

ジュンク西村

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