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コザの夜


 嘉手納基地のゲート通りから枝分かれした小さな横丁、ゴーヤ通りのとある食堂を立ち止ることなくくぐる。とにかく早く酔いたい。仕事を終えたばかりと思われる二人の初老の労務者も座るや否や泡盛残波のワンカップを開封する。時長く経たずして同じワンカップを差し出しあう。大いに飲んだ。ペンキに塗れた二人はその筋の職人ではなく、市から斡旋された今日の仕事がたまたま塗装作業だった。呂律の怪しくなった陽気な志喜屋氏は宮古島出身。沖縄で気持ちを感じた人は宮古の人が多かった。那覇の桜坂で出会った、母親のスナックへ連れてくれたお兄さん、この近くのクラブプレジデントで妖艶なスネークショーを演じるユミさんも宮古だったか。一方、相棒の大城氏は思慮深く知性を感じさせる。ヤンバルの生まれとのこと。「楚州ですか?」と当てずっぽうに尋ねると彼は少し眉を上げ驚いた表情を見せた。

 コザを訪れる前、那覇から国道58号をその起点である奥という村まで、さらに県道70号を野営しながら10日間ばかり歩いたのだが、雨の中、奥から東海岸を南下し始め10分もたたずして、「おい青年、何処へ行く、何故歩く?」と非常に怪しいおじさんに呼び止められ、丸め込まれ、その手作りの小屋に寄ってしまい、酔ってしまった。翌朝発ったが、腕全体が水膨れするほどの日差しと二日酔いの渇きで水はすぐに切れた。何度もヤンバルの山道にへたり込みを繰り返し、やっと一軒の民家に辿り着き、そこが楚州であった。

 大城氏はこの小さな村を十代で離れ、運送会社で定年まで働いた。オレがアイスコーヒーと島バナナを頂いた金城さん宅の二軒隣が大城氏の実家であり、金城夫婦のこともよく知っていた。この小さな偶然にさらに酔ったオレを二人は島唄の酒場へ誘う。姫という酒場のステージに飛び入り、志喜屋氏が締太鼓でリズムを刻み、大城氏が唄う。オレはまばたきを忘れ、酔いが醒める程彼の声に痺れ、唸り、まばたきを思い出し、酔いを戻した。それぞれ手足に軽い障害を持ち、本島では決して歓迎されてこなかった出所の二人のステージは、ソウルミュージック以上にオレのソウルを大きく揺さぶった。

 少し眠ってしまったか時計の針は夜中を廻っている。オレの支払いを決して受け取ろうとしなかった二人と別れ、オレは朝までこの基地の街を撮った。


ジュンク西村

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