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カントリーロード コリア


 釜山からバスで慶尚北道中心に位置する安東に着いたのは午後3時過ぎ、すぐに河回村方面へ歩き始めた。日本のガイドマップ上のルート34号線は細く、のどかな農道ぐらいに考えたのは全くの見込み違いで、民家は少なく日本の高速道路上を歩くと例えてよい。中古車センター裏の公園で一泊し、翌日の昼前に34号線を外れ、やっと道はガイドマップにない田舎路となった。  点在する小さな村に立派な教会が目立つ。稲刈り前の雀はまん丸と肥え日本のものとは違う種にさえ見える。風景は日本の農村と大きく変わらないが、4輪バギーにまたぐおばちゃんがいたる所で目についた。自動販売機の類が見つからず、赤牛のいる農家に飛び込み水を請う。ちょうど飯時で食っていけという。牛肉の細切れが入った白濁のスープは滋味深く、滞在中一番の絶品であった。隣の部屋では若いお嫁さんとその姑が週末の旧盆チュソク用なのか餅のようなものを小さく千切っている。大邸からきたという都会育ちのお嫁さんはこの二人の義父母にとても大切にされているようにみえた。

 観光地の河回村の見学はさっと済ませ、人影のない山際の植樹の中にテントを張ったがすぐ後ろの二つ仲良く並んだ土饅頭の墓に気づき少し離れ張り直した。コーヒーとラジオのスイッチを入れ南ヴェトナム戦争従軍記という半世紀近くも前の本の韓国ルポの部分を読む。比べてこの旅のなんとちっぽけなことか。NHKのAM電波は弱々しく遠い国の放送のように聞こえ、やがて韓国のパワフルな電波に押しつぶされた。スイッチを切ると種々の虫たちの鳴き声が共鳴し合い、その幅広い周波数は広い御堂に響く老若男女の経典合唱のようでもあり、オレのこれまた幅広い周波数の耳鳴りをかき消してくれた。

 早朝出発。東へ行けば鉄道があるのだが距離感が分からない。夕暮れになってやっと尚州(サンジュ)の看板に出くわす。左、Sangju 8km、右、Jibo 3km・・・しばし迷い右足を踏み込む。Jiboは街というより集落で、すぐに一泊2万ウォンの安オンドルに投宿した。町の規模のわりに食堂が多いのはここも例外でなく、中華料理屋があったので入ってみた。オレが歩いていたのを見かけたという店の男にJiboとは漢字でどう書くのか尋ねると、誰かに聞くためか奥に消えた。そして渡された紙切れには“知保”と書かれていた。この町を拠点に近郊のイェチョンの街を撮り、酔ってフィルムを失くし、河回村に地形の似た回龍浦を撮り、酔ってメモ日記を失くし、結局4日間滞在した。

 帰り釜山行のバスは途中何ヶ所も停まり、チュソクの帰省を終えた人々が乗り込み、チョゴリを着た孫達を老人達が見送る。そういえば、出会った老人達は日本語を話さなかった。韓国の老人の多くが日本語を話すと云われた。その説自体が違ったのか、あるいはこの老人達はもはやあの時代を明瞭に記憶しない“次”世代なのか。いずれにせよ、あの時代に日本語教育を受けた(それが強制であったかなどは言及しない)最後の人物が消えいくのもそう先のことではないのだろう。

ジュンク西村

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