photographer says

北へ


 昨夜の日本酒を恨めしく思いながら登った雪の塩谷丸山から下山し、バーINAZOの店主で、無二の親友である山崎氏と朝里駅前のシグナルという小さな食堂でツブ貝のつぼ焼きをつつく。十数年前この近くのトンネル現場にクレームで張り付いていた時、昼食にたまたま見つけた食堂である。あの時美味すぎてオレはビールを我慢できなかった。釧路にもうまいとこが一軒あるが貝の大きさは比べ物にならない。おばちゃんの指示通り先ずはスープを飲む。微かに生姜の風味を覚えるこの味は繊細な配合の試行を重ねたに違いない。軟らかいツブの肝はどうしても途中で切れてしまい、あの時と同じようにおばちゃんが小指を突っ込み取り出し、直接口に食べさせてくれた。
 味噌ラーメンをすすりながら山崎氏とこれからのデートプランを話し合う。トンネルの開通で冬も定山渓方面に通行出来るようなので豊羽鉱山の探訪を提案した。かつてこの山奥のレアメタルの集落に迷込み、その様子は幼少の頃の炭鉱の風景に酷似しており、突然現れたその存在に何か下界から遠く離れたような不可思議なものに感じ、時が過ぎ行くにつれ記憶は夢想的な方向へ強まっていった。
 朝里峠へ向かう。2月だというのに路の陽の当る所は舗装の肌を薄く露出させ、雪は汚れてもう春が来たかのようである。山崎氏も今年は異常だという。峠の厚雪の融け具合は北の季節の移り変わりを知るひとつの指標なのだが、運転時間の長いオレにはもう一つあった。雪が降り始める10月後半ぐらいから東京のAMラジオが入る。1242KHz。日が暮れるとともに、寒さが増すとともに電波は強くなった。当時は、かつて土曜深夜に大人気であった落語家が同じような内容の番組を毎夕方やっており、暗く孤独な吹雪の峠越えを大いに慰めてくれた。そして3月が去り寒さが少し緩む頃から徐々に音は不安定となり、大型連休が明けてノイズ以外聞こえなくなると桜の花が咲いた。そこには好きな子が引っ越していくような寂寥感が残った。
 かつては3000もの人々を養ったという鉱山は5年前に閉山していた。数キロ手前の簡易ゲートで警備員に車を止められる。今は機械設備の解体をしており住宅などはもう何もないが、歩いてなら行っていいという。登山で疲れていたので翌日出直したのだが警備員は交代しており、雪崩の危険があるので徒歩でも立入禁止だという。入れたらオレが叱られてしまうべさぁ、という。
 定山渓の数ある温泉の中で山崎氏が最近お気に入りの湯に浸かり、休憩の大部屋で座布団を枕に想う。閉山と共に人の営みの痕跡が跡形もなく一瞬にして消える果敢なさを想う。一方で、オレの田舎のように多くの家屋がその主人をなくし、ゆっくりと朽ちてゆく刹那さよりはいいのかもしれないなとも想う。

ジュンク西村

Copyright © 2008 Nimaigai. All Rights Resreved.