photographer says

郵便配達人は二度・・・


 オレの生まれる少し前より郵便局から簡単な業務を委託され、家の一角でおふくろがそれを切り盛りしていた。毎日郵便配達人が5、6人のローテーションでポストの集荷にやってきて、昼ご飯はうちの堀コタツの居間で持参の弁当か即席麺を食べていた。夏休みなんかは毎日のようにそのおじさん達とオレも昼飯を食った。食後はその居間でそのままゴロリと仮眠に入り、高校生にもなると唯一テレビがあるその居間に行くのが億劫で“はよー帰れよ”とよく思ったものだ。たまに、昼になっても現れないおじさん配達人が一人ばかりいて、そんな時はだいたい手前の駄菓子屋を兼ねた酒屋でおばちゃん相手にワンカップを飲んでおり、おふくろは“なんで酒を出すんかねえ”と店のおばちゃんの商いに憤慨していたが、事が大きくはならなかったのは時代なのか、彼女がチクらなかったからなのか。
 中に、オレと妹が“飯田の兄ちゃん”と呼んでいた配達人に成ったばかりの若者がいてオレは彼によくなついた。郵便局の赤いカブのサドルの前方にお尻を引っかけ、彼の握るハンドルのすぐ内側に手をおいて配達のお供をした。それが楽しみで仕方なかった。おふくろも彼にはよく昼めしを作っていたのだが、ほどなくして結婚し彼は弁当を持ってくるようになった。そのアルミの弁当箱に入っていたのは白飯と魚肉ソーセージを焼いて輪切りしたものだけで、子供ながらオレは非常に気の毒になった憶えがある。ほどなくしてその弁当を作った人と離婚し、別の地区の郵便局に配属となりうちのポストの集荷に来ることはなくなった。その後再婚し、郵便局を早期退職してマッサージの資格を取り二千万円かけ治療院を開業したものの、それもほどなくして廃業したと聞いた。
 この夏に実家に帰って近所のおじさんに貰った蚊帳を裏庭で洗っていたら、おふくろが呼ぶので行くと家の前に赤いカブが止まっており、飯田の兄ちゃんが郵便配達人の姿でお茶を飲んでいた。オレが思わず“あれー、飯田の兄ちゃん!”と大きく声を漏らすと、飯田の兄ちゃんは60歳を越えたとは思えないあの昔のままの笑顔でニコーっと微笑んだ。

ジュンク西村

Copyright © 2008 Nimaigai. All Rights Resreved.