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行商列車


 ホオカンムリを顔にまとったそのおばさんはおもむろに、アルマイトの深くでかい弁当箱を手提げ袋より取り出しもの凄い勢いで食べ始めた。太い卵焼きに赤いウインナー、ご飯に振り掛けられた深緑の刻みワカメの色色のバランスがよい。食べ終わるとオレの祖母も好んだエコーをプラスチックのケースから取り出し、濃く太い煙を両方の鼻穴からピータートッシュ並みに噴き出し、それはそれはうまそうに吸い終わるとすぐに眠り始めた・・・。18歳の冬の早朝、あれは小倉の寮に戻るときだったか、大嶺駅から単線一区間いわゆる盲腸線の大嶺線に乗り南大嶺で美祢線に乗り換えた。乗り込んだ車両は仙崎からの行商のおばさん達に占拠され強烈な魚の匂いが漂っていた。紺色のシートの座席の下からはディーゼルエンジン臭の混じった強力な暖房が噴き出しその匂いを更に強めた。そしてオレの真向かいに座っていたこのおばさんの前にオレは殆ど透明人間だった・・・。
 まだ仙崎の行商のおばさん達っているのだろうか。少なくとも今美祢線は前回の洪水で線路の盛り土が流され、そこが重機の入らない谷山中だったものだから復旧の見通しはまだ立っておらずその車内風景は見ることはできない。ただその末裔とも思われるおばちゃん達は軽ワゴンで山間部にイリコや蒲鉾の行商に廻っており“なんかこーてーやー”とオレの実家にもよく来るようだ。数年前外でビールを手に佇んでいたら家の前に来たので興味半分覗いてみた。瓶詰め雲丹やら干物ぐらいしかなかったが会話も弾み1000円もしないだろうと三枚セットの一夜干しスルメを買った。これがえらく高かったのだが、ない金ではないよな、なんて思い管理職になったばかりのオレは気前よく払った。
 時は経ち雇用保険の受給が終わったばかりのこの夏、部屋で名古屋に戻る一番安い方法を検討していると外で“あの兄ちゃんおらんほ?”と言う声がしたかと思ったら、おふくろが“あんたになんかこーてゆーて来ちょってよ”とご丁寧にも呼びにきたので、“おらんてゆーてくれー”と小声で伝えオレはもう一つ奥の部屋に隠れてしまった。

ジュンク西村


*写真は青森の本八戸で撮った似たような風貌のおばさん。

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