photographer says

嗚呼、バルセロナ


 空港からバスでカタルーニャ広場に着いたのはもう夜中前、カストロ教授の出迎えを受けまっすぐ彼のアパートに向かった。会話もそこそこに白ワインの栓を抜き、空腹を覚えたオレに彼は出前一丁チリソース味を戸棚から取り出した。お椀に麺を割って入れ、お湯を注いだそれはチキンラーメンではないからバリ堅である。“ワインとラーメンか・・・”ボトル2本を空けオレはぐっすりと寝た。
 アパートはラバル地区という移民街にあり朝は隣からコーランを唄う声が聞こえた。西洋のゲストルームというものを期待していたのだが部屋はワンルームで本棚を仕切りに彼と空間を分け合った。一時フランス人写真家も加わりオレはベッドを彼に譲り、毎晩酒盛りをして持参のシュラフで寝た。まあそれもまた楽しく、ロビン・ウィリアムとハービー・カイテルの中間といった風貌の、一廻り上の同じ羊年の教授とオレはすぐに意気投合し、近所の知り合いのおっさんと錯覚するほどうまがあうと同時に、この人本当に教授なんだろうか、独身?ホモ?、お金ちゃんとくれるんかいなぁ、と不安も生じた。ところがどっこい、彼はバルセロナの写真界の第一人者であり、サラゴサというアラゴン地方の町に家族を持ち、三階の吹き抜けの豪邸に住み、このボロアパートは授業のある週前半の仮住まいであると同時にヌードを撮るスタジオも兼ねていることがわかった。
 数日後、ゾナ大学で彼の授業に参加した。ピンホールカメラについてフランスからの女性客員による工学的な授業が行われ、その先生と三人で学食でワインを飲み、今回のフォーラムが行われるカンバステ美術館に向かった。そこは東京のワタリウム美術館によく似ておりワイン一杯1ユーロの即席のバルまで開かれていた。後日のオレのスライドショーと、賞金1200ユーロとここでの個展の権利を得るコンペの審査員の役目も無事終わり、緊張の糸が切れた後は、ワインを絞ったあとのぶどうの皮から作ったというオルホという強い酒をあおり、アラゴン料理である豚の鼻のフライを食べ、ピカピカというガルシアの海鮮料理に感嘆した。出演したラジオ番組では“あなたにとって写真とは?”と聞かれベロベロのオレは“アホな質問やのう。食うこと、寝ること、●●ことと一緒だわ!”とまるで巨匠気取りである。湧き上がった笑いは失笑だったのかどうかは憶えない。
 さて、浮かれ充実した滞在もある出来事で相殺される。旅の最初に財布をすられ全ての金とカード類を無くし、旅の終わりに携帯電話とカメラを強奪された。携帯については実はよくわからないのだが、あのたむろしていたジプシーかパキスタンにすられたに違いないと思い込み、道を引き返し“返せ”と求めたところ逆襲にあい、薄暗い路地を逃げたのだが挟みうちにあいライカを奪われた・・・浴びるほど飲んだ例のオルホが恐怖や屈辱の感覚を麻痺させ記憶を希釈した。よってトラウマになることもなく、よって酔っ払いはまた繰り返す。数発殴られでもすればそれは再発に対する抗体に成り得るだろうが、麻疹のそれのように終生免疫ではないことをオレは身をもって知っている。

ジュンク西村


*フォーラム風景 http://www.canbaste.com/forum.htm 2011年12月個展予定です。

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