photographer says

福島の春


 かつて京都の先輩から、彼が子供をもうけた7年前だったか、電話を受けた。開口一番“おまえ、原発についてどーおもーてんねん。ゆーてみい”とまた酔っておられる。その時オレは、“代替案思いつかんし仕方ない”みたいなことを言ったと思う。すると彼は、切れまくり、“それでええんか!あんなもん作らしておまえは平気なんかあああ!”とオレは怒涛の如くまくし立てられ、“またかいなあ、前回は北朝鮮の話やったなあ”と思いながらどうやって電話を切ろうか考えていた。
 政府が、近日中に原発20q内を絶対立入禁止となる警戒区域に指定すると発表した前後、そんなことを思い出していた。そしてそのニュースは、すでに放射線測定器を買ったというのに、少し怯んで二の足を踏んでいたオレの背中をドンと押した。そしてその夜福島に向かった。
 翌朝の福島第一原発付近は穏やかな小春日和で、正面ゲート横の桜は何も知らないかのように可憐に咲いていた。そこから5キロメートルも離れれば、まだ寝ぼけたカエルがやさしい日差しを浴び、谷間の雪もやっと融けた東北の農村風景が広がる。山際の土手には土筆が、その奥の少し湿った日陰には蕗が群生し、田植え前の畦道は芝生のようにきれいに草が刈られ、小川の水は澄んで美しかった。庭に止まったトラクターと洗濯物は春の季語になり得るほど風景に溶け込む。そんな光景を目にし、かつて会社のお客さんから毎年頂いた、40sもの精米前の米が福島産であったことを思い出す。名古屋市内に自動精米所を探した。旨かった。粘りのある美味しい米だった・・・。
 プラントへの接近を試み、道路脇から入山し歩く。フェンスに阻まれ何度もルートを変えて道なき山中を進むと目前に溜池が現れた。堤防の赤土はまだ新しく完成したばかりのようだ。その下には小さな田んぼが段をなし、下方へ八の字に広がっていた。こんな山合までよく開墾したものだ。だが、途中から田んぼは線を引いて黒い泥に覆われ、漂流物が散乱し、さらに下っていくと波の音が聞こえてきた。辿り着いた海岸からは今も死闘が繰り広げられるプラントが僅かに見えた。
 あと数時間で日は沈む。その乾ききった洗濯物を取りこめば今日もいつもの穏やかな一日で終わったであろう。そしてオレが去った8時間後、そこは警戒区域となった。

ジュンク西村


*帰路は国道114号線を二本松方面に走った。原発より20km地点では警察が検問強化の準備に追われていた。そのポイントを過ぎ数キロ走っても測定器の値は下がらず、むしろ高くなる傾向にあり、30から50μSv/h(通常0.05-0.1)を示したままであり、コンパスで囲った警戒区域の根拠に疑問を持たざるを得なかった。

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