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東北行脚


 道にせり出した木の下に小さな女の子の影が見えた。そっと近づき様子を伺うと、その子は下に落ちたその木の実を拾って食べていた。そしてカメラを構えたオレになぜか“ごめんなさい”と言いつつ、集落の方へ消えて行った。それは桑の果実であった。真っ黒に熟した実まで女の子の背では届かなかったようだ。遠野の昔話では、恋を寄せた白い馬を親に殺され、その剥がれた皮に包まれ消えていった娘がその親の夢に現れ、養蚕の方法を手引きしたという。桑の木はこの遠野へと続く里山の道沿いに繁盛に見られ、そんなお伽話が生まれたのも納得いく。その甘酸っぱい果実をしばしば摘み、その日は田瀬湖畔にテントを張り、無人販売所で買った太いアスパラガスを茹でて食べた。
 釜石への復興関係で遠野の宿はどこも満室であったが駅横の観光案内所が一泊だけ手配してくれ投宿した。飲み屋が開くにはまだ少し早い。遠野の名物という羊のハンバーガーを地ビールで流し込みながら、花巻から三日間歩いた里山の、道中に見かけたアカシアの花で真っ白くなった道、雨宿りした迷岡という村の祠などの光景をぼんやりと振り返る。さらに記憶を遡り、実家の裏山の今は姫竹に占拠された桑の大木に、親父がブランコを作ってくれたことなどを思い出す。一人呑みというのは過去ばかりがよぎりどうも酔いが早い。財布には久々に一万円あることだし、駅西側の親不孝通りの一軒のスナックのドアを開けた。そこの70歳を超えたママは自家製の山菜をドンドン出してくるものだから、話は自然とその話となる。この地方ではタケノコは里山にはなく山深く行かないと手に入らないとは意外であった。そこで話しは熊のこととなり、野宿を考えていた笛吹峠先の集落に二日前にも熊が出たと他客から聞く。この時期ソメイヨシノのさくらんぼを狙ってしばしば出没するらしい。オレはその山道ルートを避け国道を歩こうか悩んだが、ママが爆竹を鳴らせば大丈夫だという。
 翌朝はかなりの雨であった。笛吹峠を歩き、何人かの人に乗らないかと声をかけて頂いたことが嬉しい。峠を越え間もなく、日本最古の橋野高炉跡近くに無人キャンプ場を見つけ半裸でテントを張る。ホームセンターの農業コーナで買ったロケット花火はどうしようもない不良品で、着火と同時に爆発しテントに穴を開けてしまった。酒もなく、雨風熊で落ち着かない夜ではあったが、翌日の地鳴りを伴う地震に起こされるまでよく寝た。
 さあ、花巻から70、吉里吉里まで残り30Kmである。本番はそこへ着いてからであり、この雨にも負けず行脚は旅の余興である。というのは、夕方には讃岐うどん職人の源さん達と合流し、翌日は堤幼稚園でうどんの炊き出しをするのである。今宵の泊まる場所が確保されていると足取りも軽く、途中ソメイヨシノのさくらんぼを見つけ機嫌良くほおばる。が、それはとても食べられた代物ではなく、何度吐いても唾液は赤紫に染まり口内が痺れた。熊に言わせれば“わかっちゃねえべな。この苦さがいいんだぁ”といったとこか。

ジュンク西村

追伸  たまたま入った釜石の橋野食堂のラーメンは最高だった。

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